百円に情熱を注ぎ成功に導いた名経営者 矢野博丈

 コロナウィルス感染で景気の先行き不安が叫ばれている中、比較的影響が少ないと思われているものに百円ショップがあります。その百円ショップをメジャーにした大創産業(ダイソー)の創業者 矢野博丈を今回の題材とします。
 矢野博丈は、1943(昭和18)年、中国・北京で栗原基夫妻の末っ子の栗原五郎として生まれ、戦後に中国から引き揚げてきた後、広島県東広島市の小学校で過ごし、中学からは広島市で育っています。その後、広島県立広島国泰寺高校に進学してボクシングに熱中し、1964(昭和39)年にはボクシングの強化選手に選出されています。但し、ボクシングに熱中するあまり、学業が疎かになり、浪人の後、中央大学理工学部(夜間)に入って、アルバイトに励みながら卒業しています。
 博丈は、大学の時、親戚夫婦宅で食事をご馳走になっていましたが、そこで、後に博丈の妻となる勝代と知り合い、大学を卒業する半年前に結婚しました。今後は商売で生きていくとして、屋号のことを考え、栗原から妻の苗字の矢野に改名し、将来、社長になって威厳を保つ為にと、名前も五郎から博丈に改名し、“栗原五郎”→“矢野博丈”になりました。
 大学を卒業後、博丈は、尾道市で妻の実家の魚問屋を手伝いましたが、会社の犠牲となり、700万円もの借財を背負ったことを契機に、夜逃げをし東京に行きます。百科事典のセールスマン、ちり紙交換屋などを転々として、1972(昭和47)年、2トントラックに商品を詰め込み、ベニヤ板に商品を並べて売る会社、矢野商店を創業しています。商品は値段を付ける間もなく売れ、商品の取り扱い量が増えたことから、売価は、全て百円という百円ショップが誕生しました。トラックに乗って社員それぞれがスーパーに向かい百円均一の店頭販売を行い、業績は順調に伸びていきます。そして、1977(昭和52)年、“株式会社大創産業”に改称し、法人化しています。
 商品を放火されたり、社員に裏切られて会社の乗っ取りを企図されながらも、ピンチを乗り越え、現在では、国内外に5,000店舗を構える、売上高4,000億円を超える会社になっています。
 博丈は、主婦客が「安物買いの銭失い」とつぶやいたのを目の当たりにし、仕入のスタイルを変え、利益を取るのではなく、お客様に喜んで頂く為に、売価百円の範囲で可能な限り質にこだわった商品構成に変更しました。『お客様に喜んで頂く為には、人間として、商人としての一生懸命な思いをどう鼓舞できるかにかかっている。』と考えています。
 博丈は、『これを百円で売っているのかと、お客様が驚いてくれる商品を売ることができたから、今があるわけです。いつも我ながら、これがよく百円で売れるなぁと驚いている。』と語り、商品開発に注力し、様々な商品を百円で提供していることを誇りに感じています。
 博丈は、百円で売ると50円儲かる商品と、1円しか儲からない商品があったら、どちらを重要視するかというと、1円しか儲からない商品をたくさん売るようにと言っています。まさしくお客様が喜んで頂く為に、質にこだわった商品販売をすることを徹底しています。
 大創産業(ダイソー)では、お客様の支持を得ることができれば、売上高が伸びる。経営計画を策定しても、お客様の支持がなければ意味がないとして、長期的な経営計画を策定せず、社是・社訓といったものもないようです。
 大創産業の規模で、経営計画、社是・社訓のない会社は稀少ではありますが、大創産業ほど、お客様第一主義が徹底していれば、それ(お客様第一主義)が、社是・社訓になるのではないでしょうか。
 大創産業は、従業員教育が積極的ではないようですが、矢野社長、先輩社員の率先垂範の姿勢で、OJTを実施されているようです。
 企業によっては、経営者教育、OJTを行うことが難しいところがあるようです。
 弊社プレジデントワンは、経営者を教育する『経営者教育』、『従業員教育』のカリキュラムを設けています。ご興味のある方は、ご連絡下さい。

加藤 博司