いかなる環境変化でも利益を創出する仕組みを
構築した名経営者 大山健太郎

 コロナ感染症による緊急事態宣言が1ヶ月延長され、企業経営にとっても大変難しい事態を迎えているのではないでしょうか。
 このような状況下でも増収増益を続けるアイリスオーヤマの中興の祖、大山健太郎を今回の題材とします。
 大山健太郎は、1945(昭和20)年7月、現在の大阪府藤井寺市に、プラスチック成型品を作る町工場を営む父 森佑、母 敏子の長男として生まれました。地元の大阪府立布施高等学校に入学し、大学受験を控えた高校三年生の時に父 森佑がガンに冒されていたのがわかり、大学進学を断念しました。父の死により、1964(昭和39)年に大山ブロー工業の代表者に就任しています。
 当初は、1個数十円の加工賃だけが収入の下請け町工場でありました。1967(昭和42)年、下請け工場から脱皮を決意し、養殖用の漁業用ブイ、育苗箱などを開発し、商品をヒットさせて下請け工場からメーカーとなっていきました。
 1972(昭和47)年、東大阪工場が手狭となった為に、仙台市に工場を移転します。ガーデン用品、ペット用品を発売して成功を納め、1989(平成元)年、仙台に本社を移転し、1991(平成3)年に社名を『アイリスオーヤマ』に変更しています。
 1973(昭和48)年 オイルショック・1990(平成2)年 バブル崩壊・2008(平成20)年 リーマンショック・2011(平成23)年 東日本大震災と日本経済を揺るがす危機を乗り越えながら大山が経営するアイリスオーヤマは、東大阪の一町工場から、売上高7,000億円、従業員19,400人(国内6,600人、海外12,800人)の大企業になっていきます。
 大山は、オイルショックや東日本大震災等の環境変化に翻弄されない会社をつくろうと考え、エンドユーザー(使う人)が「役に立つ」、「これは安くて使い勝手がよい」と満足するかどうかの生活者重視を損なわない製品づくりを目指し、ユーザー目線で値段決めを行うユーザーイン思考をしています。
 例えば、コメ事業。大山は、1人当たりのコメの消費量が減っている大きな理由は、一般の販売されているコメ味が良くないことだと突き止め、「簡単、便利、おいしい」を実現する為、摂氏15度以下の低温倉庫でコメを保管し、精米工場全体も15度を保ち、味や品質が劣化しないように小分けした3合パックで販売しています。
 大山は、経常利益の50%を設備投資、新市場の開拓費用に振り分け、売上高に占める新製品の売上高比率50%を数値目標とし、ヒット商品、ロングセラー商品に寄りかからない経営を行っています。その為、アイリスオーヤマでは、毎週月曜日9:30~17:00(昼食休憩を除く)に、新製品1案件につき、5~10分で社員がプレゼンテーションを行うプレゼン会議を開催し、大山が採用か不採用か即時に採択しています。幹部社員には、すべての情報、戦略を共有する為、社員に日付、名前、クレーム、競合状況、商談内容、プランナー向け情報を入力させてICジャーナルを作成し、情報の齟齬をなくしています。
 大山は、売上予測の150%になってもよいように稼働率70%を実施し、どの製品需要が急に伸びても対応できるよう、瞬発的な供給力を担保したことで、欠品を嫌がる小売店も安心して取引できるようにしています。
 大山は、“経営に想定外は起きる”とし、その為に何をしなければいけないかを考え、好不況に左右されにくい市場(需要)創造型の企業になり得る為、売上高に占める新製品の売上高比率50%、稼働率70%を実施し、プレゼン会議、ICジャーナルで全社員にイノベーション(新たな需要、市場を創造し、新しい技術で製品化すること)を起こさせるように仕向けています。
 新型コロナ感染症、東日本大震災、熊本大震災、ゲリラ豪雨等、近年、短期間で想定外のことが起きて、「選択と集中」が必ずしも企業経営の正解とは言えなくなってきています。
 大山健太郎のアイリスオーヤマのいかなる環境でも利益を創出できる仕組みを構築した経営は、中小企業の経営者にも参考になるのではないでしょうか。
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加藤 博司