人間尊重を実践した名経営者 出光佐三
2017年元旦に、『海賊とよばれた男』を観に行ってきました。『海賊とよばれた男』は、百田尚樹の同名のヒット著作を映画化されたものです。
今回は、その『海賊とよばれた男』の主人公 国岡鐡造のモデルとされている出光佐三を題材とします。
出光佐三は、1885年(明治18年)福岡県宗像郡赤間村で藍問屋を営む出光藤六、母 千代の次男をして生まれています。幼少の頃から視力が悪かった為、読書に苦労しましたが、1905年(明治38年)神戸高商(現在の神戸大学経済学部)に入学しました。神戸高商では、出光興産の社是とする「士魂商才」を当時の校長 水島銕也から教わっています。「士魂商才」とは、侍の魂を持って商売人の才を発揮する。即ち、人、社会に迷惑をかけず、合理的に社会、国家のために事業を経営して、合理的に利益を上げることです。
1909年(明治42年)神戸高商を卒業後、従業員6名の酒井商会に丁稚として入店し、徐々に頭角を上げていきましたが、父の経営していた藍問屋が倒産したのを期に、家族を救うため、事業を立ち上げることにしました。金策に困窮していたところ、生涯の恩人 日田重太郎に当時の6,000円(現在の6,000万円)の無償援助を受け、1911年(明治44年)出光商会(後の出光興産)を創設しました。神戸高商の在籍時から、石炭から石油へのエネルギーの変更を予測していた佐三は、石油類の販売を営みました。石油の販売は、地区制なので、門司を拠点とした出光商会は、下関などの他の地区には、販売できませんでした。そこで、考えた佐三は、海上に船を出し、漁船に海上で軽油を販売しました。追求を受けた出光佐三は、“海上には区域がないじゃないか”と抗弁し、出光商会は、『海賊』ということになりました。出光商会は、業績を伸ばしていき朝鮮、台湾に進出していきましたが、資金繰りには苦労しています。まずは、1924年(大正13年)に、第一銀行から借入金の全額回収を迫られて、二十三銀行から肩代わり融資を受け、1927年(昭和2年)には、金融恐慌で、メインバンクである二十三銀行が合併したので、借入金の全額返済を迫られましたが、再度、融資を受けるということで乗り切っています。いずれも、各銀行の経営者と出光佐三が会って、佐三の事業家としての才能に感銘を受けて、各行が貸付を実行しています。
日本が第二次世界大戦へと進む中、出光商会(昭和15年から出光興産)もジャワ、マレー、フィリピン等の南方に進出し、現地社員の活躍のより、現地の石油事業を席捲していきました。しかし、1945年(昭和20年)日本は敗戦をし、海外事業で成功していた出光興産の財産も没収となり、財産を失ってしまいました。
佐三は、自身60歳となっていましたが、社員1,000名の社員を解雇せず、石油がなくて、石油販売ができなかったので、ラジオの修理、農業等の事業で経営しています。そんな中、アメリカのGHQから、日本の製油所タンクの底油を回収したら、新たな石油を配給することが通達されました。他社が、タンク底油回収を尻ごみする中、出光興産の社員は、石油販売が行えることをモチベーションとして、この難作業を遣り遂げ、石油元売会社の指定を勝ち得ています。その後、各日本の石油会社が、石油の海外メジャー会社に吸収、合併される中、出光興産は、合併を拒み続けました。その為、出光興産は、石油の配給、販売に制限を受けて苦労しています。
1953年(昭和28年)、出光興産は、イギリス系メジャー ブリティッシュ・プトロリアム=BP)と係争中であったイランに、自社船の日章丸二世をさし向け、“生産国から石油製品を直接輸入し、日本市場で販売して消費者に便益をもたらす”という生産者より消費者へのビジネスモデルを確立し、歴史に残る快挙をもたらしました。
その後、1957年(昭和32年)には、出光興産は、自社の製油所の徳山製油所を通常、最低でも建設完成するまで2年とするところを10カ月で完成させ、海外の専門家を驚愕させています。
佐三は、1966年(昭和41年)81歳で社長を退任し、その後、店主と呼ばれ、1981年(昭和56年)、95歳で永眠しています。
出光興産の5つの主義方針の中に、“人間尊重”があり、次のくだりがあります。
“社員の人格を尊重し、これを修養し、陶治し、鍛錬し、かくして完成強化されたる個々の人格を、更に集団し、一致団結し、団体的偉大なる威力を発揮し、国のため、人のために生き抜くのが主義であり、方針であるのであります。”
最近の社会では、残業はいけないという風潮があります。電通の女子社員の残業苦からの自殺事件により、この風潮がより強くなっています。
目的意識、達成感のない残業にむなしさを覚え、経営者、上司との信頼関係がない場合に、残業は良くないと感じます。しかし、仕事に充実感を覚え、経営者、上司との信頼関係があり、目的がある場合には、時間を忘れて仕事に没頭することがあり、残業になることは、社員にとってそれほど負担ではないのではないでしょうか。(育児、自分の趣味の時間を大切している社員を除く。)
電通の女子社員の残業苦からの自殺事件では、月100時間超の残業がクローズアップされていますが、実際は、この女子社員と上司との信頼関係のなさ(上司の罵倒、暴言)が、大きな問題に発展していったのではないでしょうか。
人(ヒト)の件で悩まれている経営者は、出光佐三の言葉などを参考にして、社員との接し方、社員とのコミュニケーションをもたれてはいかがですか。
社員は、信頼関係があれば、経営者に声をかけてもらうことは嬉しいものです。
加藤 博司