伝わることに情熱を傾け、今を全力で生きる
名経営者 高田 明

 テレビをつけるといつでも放映しているテレビショッピング番組。そのテレビショッピング番組で一番有名なジャパネットたかたの創業者 高田 明を今回の題材とします。
 高田 明は、1948年(昭和23年)、長崎県の平戸市にカメラ店を経営していた家で、4人兄弟の次男として生まれ、地元の小学校、中学、高校を卒業後、大阪経済大学に進学し、英語の勉学に明け暮れ、卒業後は、京都の阪村機械製作所の貿易部員として主に通訳として従事しました。仕事には満足していましたが、友人と翻訳会社を設立しようとして、会社を退職しました。結局、会社設立は頓挫して、お金もなくなり、行くところもないので、1974年(昭和49年)から家業のカメラ店で働くようになりました。
 高田は、カメラ店では、カメラの販売、観光に来たお客さんの写真を撮って、現像・プリントして販売しています。 ここで、高田は、カメラを販売する時は、商品を手にとって使い方を丁寧に説明したり、現像・プリントの販売も、俯いた写真にならないように、大声をかけてお客様がこちらを向くまでシャッターを押さなかったり、工事現場に出張して、撮影し、現像・プリント販売したりし、創意工夫を重ねて、売上を上げていきました。このとき、高田は、地域、職業、年齢、性別で購買意欲や傾向に違いがあることがわかり、後のラジオ、テレビショッピングに活かしていきました。
 高田は、1986年(昭和61年)家業から独立して、株式会社たかたを設立しました。自店のラジオコマーシャルを出したのをきっかけに、1990年(平成2年)ラジオショピングをはじめて会社は急成長し、ラジオショッピングの全国ネットワークを作ることができ、1993年(平成5年)ジャパネットたかたと改称し、現在したしまれているテーマソング、ロゴマークを作っています。1995年(平成7年)テレビショッピングに本格参入し、売上高を71億円にまで伸ばしていきました。 テレビショッピングは、当初、タレントを使って製作会社に番組制作を委託していたのですが、1時間の番組を作るのに、 1,000万円費用がかかるのと、会社のある佐世保から福岡に片道2時間かかることで、効率の悪さを感じて、2001年(平成13年)佐世保にスタジオを作って、自前スタジオで、高田自身が商品を説明する生放送を始めました。その後は知名度も上がり、売上高は、1,000億円を超え、知らない人がいない程の会社にしています。
 高田は、1994年(平成6年)から2016年(平成28年)までの22年間、想いが伝わったかどうか、相手が話しの内容を理解し、感動したかどうかを心掛けて、カメラの前で商品を紹介し続けました。
 例としては、電子辞書の紹介の時には、辞書を50冊積み上げたり、コンパクトカメラの紹介の時には、ポケットから出してサイズを明確にしたりして、スペック(仕様)だけを説明するのではなく、その商品を購入するといかに生活が豊かになるかを判りやすく紹介しています。
 私たちコンサルタントが、経営者の方々から、お客様や従業員に自分の想いが伝わらなくてジレンマを抱えていることがあると伺うことがあります。
 高田のように、相手に自分の想いが伝わったかどうかを心掛けて、話されてはいかがでしょうか。
 高田は、2015年1月、66歳でジャパネットたかたの全ての役職をおり、長男 旭人に社長の座を譲っています。 彼自身、企業は、創業期、成長期、安定期(成熟期)それぞれで、組織のあり方もリーダーのタイプも変わらなければ、100年続く企業にならないと思ったことで決断しています。また、自身が行ってきた感性や課題の解決方法を「仕組み化」できず、採用や社員教育、評価制度の仕組み作りは、後継者が長けていると感じて禅譲しました。
 経営者の方で、後継者に経営者の座を譲ることを躊躇して、事業承継が進んでいないのが日本企業の現状のようです。 現状のままでいくと、2025年には、中小企業245万社のうち、127万社に後継者がおらず、廃業危機のようです。
 弊社プレジデントワンは、新税制にも対応して、事業承継を推進しております。このコラムを読んで、ご興味のある方は、 ご連絡ください。


加藤 博司