感動経営でJR九州を再生させた
名経営者 唐池 恒二

 働き方改革、シニア世代の増加により、休日の過ごし方に重きをおかれる時代になってきました。その中のひとつに旅行があります。シニア世代を中心にモノではなく、感動を求めることが多くなってきています。ななつ星をはじめとして人々に感動を与え続けて会社の業績を押し上げた、現在、JR九州代表取締役会長の唐池恒二を今回の題材とします。
 唐池恒二は、1953年(昭和28年)、大阪府に生まれ、大阪府立三国高等学校を経て、京都大学法学部に入学し、1977年(昭和52年)卒業し、同年4月に、当時の日本国有鉄道(国鉄)に入社しています。
 唐池は、1983年(昭和58年)に国鉄 大分鉄道管理局に配属されてから九州勤務となり、門司鉄道管理局などを経て、1987年(昭和62年)、国鉄分割民営化時に、JR九州に入社しています。分割当時、JR九州は、JR四国、JR北海道と並んで、経営が将来、持続できるか不安視されていました。加えて、九州内の高速道路が整備され、九州の人口減少のスピードが速くすすんで、鉄道の利用客が減少していきました。
 唐池は、1987年(昭和62年)10月から4カ月間、クレジット会社の丸井で研修しました。初日には、“株式会社丸井 企画室 唐池 恒二”の名刺が用意され、歓迎カードが机の中に、ロッカーには、花束を模したリボンに入っており、感動しています。また、何かを伝えるとき、ターゲットを絞り込み、ターゲットにきちんと届くように徹底することをマスターしています。
 唐池は、丸井からJR九州に戻り、1988年(昭和63年)、SL快速「あそBOY」、1989年(平成元年)、特急「ゆふいんの森」、1991年(平成3年)、博多~釜山を結ぶ高速船「ビートル」の企画を手がけています。
 唐池は、1993年(平成5年)、外食事業部次長となり、売上高が25億円、赤字8億円の事業部を引き継ぎました。
 自ら猛勉強しながら、外食産業では常識の月次決算の作り方、クルー(パート、アルバイト)の採用や教育の仕方、コスト管理の方法など店長の仕事を、店長会議で徹底的に行いました。店長会議を重ねるごとに、顔つき、服装、言動が変わり、業績も、1年後赤字5億円、2年後赤字2億円、3年後には黒字転換し、1千万円の利益と成果を上げ、1996年(平成8年)分社化し、JR九州フードサービスという新会社としてスタートを切りました。唐池は、初代社長として、売上高31億円、経常利益3千万円の業績をあげています。しかし、唐池が1年で退任すると、業績が下がり、2000年(平成12年)、再び、JR九州フードサービスの社長に就任し、早速、同社の店舗を見て回り、①スピードのあるきびきびとした動き ②明るい元気な声(挨拶や会話) ③スキを見せない緊張感 ④よくなろう、よくしようとする貪欲さを4つの法則として唱えて会社に浸透させました。
 就任後、半年後には、黒字化しましたが、ひとつの夢がかなったときは、ひとつの夢が消え失せるときとして、次なる夢を描いて、東京進出を図り、2002年(平成14年)赤坂に「うまや」を開店させ、成功に至らせました。
 2003年(平成15年)JR九州に戻り、取締役営業部長、経営企画部長を経て、2009年(平成21年)JR九州代表取締役社長に就任し、2011年(平成23年)、九州新幹線全線開業、2013年(平成25年)豪華列車「ななつ星in九州」を運行させています。
 唐池は、『感動のない仕事は仕事ではない』として、いかにしてお客様に感動を与えるかに全力投球し、『経営は、ひとに感動を与えるためにある』、『経営は感動することからはじまる』として、「部下を感動させるために企業の夢を語る。部下はその夢に感動し、そのトップについていこう、その夢の実現に向かおうと全力を尽くす。部下の感動は「意気に感じる」という気持ちと行動に変わっていく」としています。
 かつて日本の企業は、ソニー、パナソニック、ホンダなど、上記のような感覚をもった企業がたくさんありました。大企業病で大企業は、感動経営が難しくなっている現況では、中小企業が少数精鋭で感動経営を起こせば、凄い力になるのではないでしょうか。
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加藤 博司