認めるプロセスを加えて成功に導いた
名監督 工藤公康

 ラグビーワールドカップの盛況の陰でひっそり行われた感のあるNPBの日本シリーズで、セントラルリーグの覇者 読売ジャイアンツに4連勝し、日本シリーズ3連覇を果たした福岡ソフトバンクホークス。その3連覇を果たしたホークスの監督 工藤公康を今回の題材とします。
 工藤公康は、1963年(昭和38年)愛知県豊明市に生まれ、小・中学校をその地で過ごし、名古屋電気高校(現:愛知工業大学名電高等学校)の時に全国高校野球でノーヒットノーランを達成して注目されました。1982年(昭和57年)西武ライオンズに入団し、1年目から中継ぎで登板して初勝利を挙げましたが、2~3年目は、低迷して、4年目の1985年(昭和60年)から先発投手として活躍し始めました。それ以後3年間は、2桁勝利を挙げましたが、毎日のように飲み歩きをした結果、8年目の1989年(平成元年)に肝機能障害を発症し、低迷しました。しかし、一念発起して、健康と肉体管理を徹底しました。その後活躍し、1995年(平成7年)福岡ダイエーホークス、2000年(平成12年)読売ジャイアンツ、2007年(平成19年)横浜ベイスターズ、2010年(平成22年)埼玉西武ライオンズに所属し、29年間の現役生活で、224勝142敗という成績を残し、引退しました。引退後は、報道ステーションに出演しながら、2014年(平成26年)筑波大学院人間総合科学研究科に入学し、勉学に励んだ後、福岡ソフトバンクホークスの監督に就任、2015年(平成27年)就任1年目でパ・リーグ制覇、日本一になりました。その後、2017年(平成29年)~2019年(令和元年)日本一3連覇を果たしています。
 プロ野球界も、御多分に漏れず、AI化が進み、守備面では、打者の打球方向の傾向を捉える“守備シフト”がしかれ、その守備シフトを破る為に、打球はゴロを打たず、フライを上げてホームランを狙う“フライボール革命”が行われ、投手では、ボールの回転数を上げて、凡打にするなど、トラックマンの導入で複雑化しています。また選手のトレーニングも科学的になり、これらの知識がないとコーチ、監督が務まらないようになってきています。
 その中で、工藤は、野球のデータ化・トレーニングの科学化などを大学院で専門的に学び、知識的にも、選手時代の実績(224勝)でも他を寄せ付けない存在になっています。
 工藤が、監督となって感じた事は、人間を相手することの難しさで、質も量も十分なコミュニケーションを取っていないと気持ちの一方通行になるということでした。 工藤は、立場的、知識的にも自分が先に言葉を発してしまうと、事が決定し、コーチ・選手・トレーナーの自主性の削がれるのを感じました。そこでまずは相手(選手・コーチ・トレーナー)の考えをヒアリングし、認めて、 「なるほどやってくれているんだ。ありがとう。」としっかり承認してから、課題の指摘と問題解決と進むようにしました。
 現在こそ承認というプロセスを加えて先に進めることを行っていますが、以前の工藤は、「やるのが当たり前」、「なぜできないんだ」という言葉が多かったようです。
 また、工藤は、ある時期から、「正しいこと」ではなく、相手が「幸せになること」を言葉にし、相互の深い納得感のある意思疎通を心掛けているようです。
 今回の日本シリーズでは、主力の内川選手に代打を出したり、同じく主力の松田選手をスタメンから外したりと、他チームであれば不協和音が出るところですが、福岡ソフトバンクホークスでは、そのようなことがなかったようです。まさしく工藤の心掛け、取り組みが活きたようです。
 私のクライアントにも、仕事、実務ができる経営者はいます。工藤監督の初期時代のように「やるのが当たり前」、「なぜできないんだ」ということが多々あると思います。工藤監督の相手を認めるというプロセスを踏んでから先を進めると、従業員も心を開いて、会社の発展にも繋がるのではないでしょうか。
 弊社プレジデントワンは、経営者を教育する『経営者教育』のカリキュラムを設けています。ご興味のある方は、ご連絡下さい。

加藤 博司