あなたのニューノーマルは大丈夫ですか

 明けましておめでとうございます。
新型コロナの第三波が猛威を振るっています。専門家によればこの先、必ず第四波がくるだろうといわれています。いままで遠かったコロナ感染者も、どんどん接近し、近い所で聞くようになってきました。今年も気を引き締める1年になりそうです。閉店、開店、閉店の繰り返しで飲食業を中心に、経済界は疲弊の極みになろうとしています。
 依然衰えを見せないコロナ禍で、世界は経済か感染抑制かで揺れ動いています。両立できないものを両立しようとして、社会全体のストレスが日々、大きくなっています。せっかく経済活動を再開した人からは恨み節が聞こえてきます。一方、医療関係者からは、世間は理解してくれないとの悲痛な声も聞かれます。お互いの言い分はもっともです。しかし、どちらも正しいのでしょうか。今回はどちらも正しいかといえば、本当にそうだとも言えません。どうやら、どちらも間違っているのかもしれません。こういうときは、ものごとから距離を置いて見ることです。裏に隠れた「大事なこと」が見えてくるからです。
 ある方から新年の便りをもらいました。日々の生活で、独特の基準で自己規制することにしているそうです。「TVを見るとき、歳月をかけて芸を磨く代わりに手っ取り早く奇をてらった名前で気を引こうとする芸人の出演する番組は見ない。」共感する方は多いようです。たまたま今日も、ある方がこんなことを言っておられました。「毎日十時間以上もTVを見て過ごしているけれども最近はよくわからない番組が多すぎる。また、なぜ面白いのかさえもわからない」と。その方々が年配であるからだという理由だけではなさそうです。
 誰の目にも番組を通して最近の日本人のいい加減さが伝わってきます。番組の作り手は手を抜き、タレントも、それに同調しているようです。浅薄さ(せんぱくさ)のまま視聴率を追いかけた業界が日本社会を劣化させたことに、一定の責任があるのではないでしょうか。感化を受けた視聴者が、日本人の生き方の劣化に果たした役割があるからです。そうした中、若い人たちにもそれに気づく人々が出ています。若い人の一部で続いている昭和レトロブームです。最先端のテクノロジーと自由を謳歌しているように見える彼らに不正直で人間性を失った現在の世相に何かおかしいと感じている部分があるようです。つまり、みんな無責任で不正直な人が多いように見えます。
 諸説ありますが、日本人の正直な生き方はいつごろ誕生したのでしょうか。13世紀、鎌倉時代中期に書かれた沙石集に「謀計は眼前の利潤たりといえども、必ず神明の罰に当たる。…天照大神の託宣(お告げ)」とあります。以来、このご託宣が日本人の正直な生き方につながったと言われています。また、江戸時代では、1837年、大関忍斎、富貴自在集に「人間は「天地の気」を受けて生まれるため、最初の人心は天性のままで素直で偽りがない。したがって、正直に生きることが天地の理にかなった生き方である。これを自覚し、天から頂いた善心を磨いて善人になるように務めることが重要である。そのためにはまず、わずかの言葉も必ず正直に徹し、偽ってはならない。そして、過ちを犯したときにごまかすのは一層罪深く、過ちを重ねることになる。…さらに、人々が神仏に種々の祈願をするのは良いことだが、普段から不正直な者がその場限りの祈願をするのは神仏を欺く行為である。とかくその種の祈願は「他人は苦しんでも、自分だけ得をしよう」といった非道で身勝手なものが多く、「欲心で欲心を拝む」行為にほかならない。自分が不正直なのに「祈願しても一向にご利益がない」などと神仏を謗る者がいるが大間違いである。「正直の頭に神宿る」という道理のように、普段から正直を実践し、心の誠を尽くすことが大切で、そこに神仏のご加護がある」と書かれています。
 正直は日本人と切っても切れない関係にありました。しかし、現代日本人が軽んじていることではないでしょうか。長い歴史の中で磨かれてきた日本人の生き方は、コロナ禍で迷走する私たちにとって、ひとつの針路を与えてくれるものではないでしょうか。
「真に新しいものは古いものから生まれるのであり、突如として出るものではない。アイデアを出すときに忘れてはならない原則である。アイデアは、古いものの中に埋もれているということである。」(安岡正篤)
 コロナ禍でニューノーマルが叫ばれていますが、現在の苦境から逃れたいだけのニューノーマルでは時代をつくることはできません。日本のオールド・ノーマル「正直」を思い出すところからニューノーマルが見えてくるのではないでしょうか。
 日本の近代文明とは「欧米資本主義にみられる利己的な生き方」が「ノーマル」であると思い込んできました。しかし、その「ノーマルな生き方」は人類の長い歴史の上からは、いびつなものであった可能性が高く、積もり積もって今回のような出来事に収斂していったのかもしれません。日本人も「世界標準の生き方」に近づいてきたようですが、どうも「世界標準」が間違っていた可能性があります。世界の人々が求めているものは、日本人の「オールド・ノーマル」であるような気がするのです。たとえば、欧米で盛んなマインドフルネスですが、これはマインドフルネス瞑想の提唱者であるジョン・カバットジンが、崇山行願に禅を師事し、広めたものです。
 いつの時代でも忘れてはならない「オールド・ノーマル」。混迷する世界の情勢の中で、人類の未来を拓くヒントが、日本の「オールド・ノーマル」にあるのです。なかでも、日本人の生き方の中心であった正直。日本人の象徴的な生き方であった正直さから自分の人生、ビジネスのニューノーマルが見つかるはずです。

代表取締役 松久 久也