混乱とわれわれの日常

 歴史的に由々しき事態が起こりました。安倍元首相が野蛮な一介の個人の手によって斃れました。心から哀悼の意を表したいと思います。銃を持たない安全な国で凶弾に倒れたことは驚くべきことです。

 世界情勢が悪化の一途を辿る中、現役を退いたとはいえ世界の指導者にリーダーシップを発揮できる唯一の政治家を失ったことになります。日本の歴史上、欧米諸国の政治指導者に対してリーダーシップを発揮し日本のプレゼンスをここまで高く実現した政治家はありませんでした。激動し始めた今日にあって、日本のみならず、世界にとってもはかり知れない損失ではないでしょうか。

 さて、混乱について考えてみたいと思います。ここ最近、ゲーテについてつぶさに確認しています。発端は、漫画家・水木しげるさんを深く知る機会があったことです。その水木しげるさんは自分の人生はゲーテが80%といわれています。水木しげるさんは漫画家ですが、過酷な戦争体験により左腕を失っています。主人公鬼太郎について水木さんは不思議なことをいっておられます。「鬼太郎はバカバカしいことをよくしますからね。正義の味方と称して、つまらんことを。鬼太郎っていうのはいわば、バカですよね。正義の味方なんてバカですよ。」水木しげるさんから出た言葉です。正義というものは確かに存在するが、正義と悪はいつ逆転するかもしれない恐ろしさがあるという意味です。また、「自分の国さえ繁栄すれば人を殺してもよいという。その心が世界を不幸にするのだ」という深く考えてやさしく語った水木さんの言葉は、とても感動的です。まさに世界の現実をあらわしています。ウクライナ侵略を引き起こし、人々の命を奪っているプーチンへの強烈な非難のメッセージです。プーチンも習近平も、戦前の日本も、自分の国さえ繁栄すればよいと思っているのです。

 ゲーテの素顔は小説、戯曲などの名作ではなく、『ゲーテとの対話』(著者 エッカーマン 岩波文庫)にあります。ゲーテが1827年こんなことを言っています。「人間というものは、じっと落ちついていることができない性分だから、うっかりしているうちにまたまた混乱がはじまるのさ」。現在の世界の状況をあらわしています。平和というものに落ち着きを感じないのか、人間は戦争ばかりに興味がいきます。地球上の種で戦争をするのは人間だけです。崇高な存在といわれる人間ですが、種の中で最も野蛮な存在なのかもしれません。

 ちょうど、勝海舟の研究で有名な勝部真長さん(元お茶の水大学教授)も次のようなことをいっておられます。「人類の過去5千年の歴史において、14,531回の戦争があったと言われ、地球上のどこかで戦争の全然なかった年は、全部で292年にすぎなかった、ということである。この事実を思うと、江戸時代250年間(正確には265年)の長期平和というものの意味は、実に驚嘆すべき、ずしりとした重みをもって迫ってくるのである」。(出典 武士道・山岡鉄舟口述 勝部真長 大東出版)上のゲーテの叙述を裏付けるような事実です。

 勝部さんのいわれるように、江戸時代というのは人間の精神が世界でもまれにみる高みにいった時代ではないかと思います。世界に今求められるのはいかに平和をつくりだすかということです。日本は江戸時代を終えることによって、欧米流の価値観に近づき、日清、日露、太平洋戦争と道を誤ってしまいました。徳川政権はすぐに戦をはじめたがる獰猛な人間の本性を深く見つめ直し、平和で高い精神性の時代をつくり上げたのが江戸時代です。この江戸時代にこそ世界に向けた大きなヒントがあるのではないかと思うのです。人類が達した最も高度な文明の一つではなかったかと思っています。自分を見失った日本、戦争ばかりしている世界に対する大きな座標が江戸時代にあるのではないかと思います。

代表取締役 松久 久也