ほんとうにどうなるんですか

 ある親しい人から質問されました。「ほんとうにこれからの時代、どうなってしまうのでしょうか」と。これはすべての人が思うところではないでしょうか。何とも野蛮な時代になったものです。何が起こっても不思議ではありません。人間の箍(タガ)が外れてしまいました。

 私たちは立派な生き方というものからずいぶん遠ざかってしまったようです。日本でも形式に捉われず、窮屈な生き方なんかやめて、好きなように生きればいいという人に溢れかえっています。形式自体が生きる目的になっては本末転倒です。しかしそうした「自由な生き方」があらゆる対立のもととなり社会が混乱しているという面について議論をするのをやめてしまいました。ネット上で毎日繰り広げられる誹謗中傷合戦は酷いものです。好きなように生きる人で溢れる社会になったことで「生きづらい社会」になったという逆説がそこにあります。

 そんな中、ある勉強会で茶道と日本文化についてお話をする機会がありました。私は茶道の専門家ではありませんが、茶室での経験がわずかながらあります。日本に生まれながら、茶道に触れたことがないという方は意外に多いものです。昔は庶民に広く広まったものですが、現在は流派が閉鎖的のようで残念です。わずかばかりの知見しかない自分ですが、日本文化を見渡した時の茶道の影響について感じるところをお話しました。

 私たち日本人は無意識に、駅のプラットフォームでは一列に並んで待ちます。また車が全く通らない赤信号でも、みんな青信号になるまで渡ろうとしません。また巨大地震によって悲惨な目に遭っても、物資の配給では長い行列をつくって礼儀正しく待ちます。また和服を着た女性が畳の上で挨拶をする姿はとても美しいものです。社会秩序がひどく乱れた世界にあって日本人の行動はとてもきれいなものです。他の国々の人々の生き方と異なるこうした文化はどこから来たのでしょうか。

 長年にわたり調べ上げてきたのですが、その由来はどうやら茶道と武士道にあるようです。茶道は生きる術といい、武士道は死せる術といわれています。ここでは生きる術としての茶道について触れてみたいと思います。

 12世紀末 中国宋より僧栄西が禅(臨済宗)と茶の製法を伝えました。その後宋の衰退により茶は日本が継承しました。現在の中国でもお茶は盛んですが、それは飲み物としてお茶を楽しんでいるのであり、一方日本の茶道はお茶を通して人生哲学となりました。哲学として掘り下げられたことで、日本人の生活の隅々にまで影響を与えました。日本文化について勉強しようと思ったら、茶道を無視することはできません。茶人は芸術分野に及ぼした影響よりも、日本人の暮らしの様々な作法に多大な影響を与えました。

 礼儀作法、住居、習慣、衣食、陶器、漆器、絵画、文学、彫刻、料理、庭園、生け花、建築。茶道は日本文化の隅々まで影響を与えました。日本文化のほとんどすべてに影響を与えたといえます。名古屋城や有名な庭園は、有名な茶人、小堀遠州の設計によります。陶器は茶人の指導で優良な品質になりました。織物は茶人のデザイン、色彩の指導でできあがりました。絵画の巨匠は茶人から生まれました。和食は、禅の精神を取り入れて、お茶会で出された懐石料理として確立されました。江戸時代に最も活躍した着物デザイナーは、後に画家としても大成する茶人、尾形光琳です。ほんとうに深く広く影響を与えています。

 その茶道の本質は何でしょうか。和敬清寂という言葉に集約されます。

(出典 教養としての茶道 竹田理絵)

  1. 1.お互いに心を開き、和やかに周りと調和する心
  2. 2.自らは謙虚に、そしてあらゆるものに対して敬意を払う心
  3. 3.茶室や茶道具を清潔にし、気持ちも邪念のない清らかな心
  4. 4.どんなときにも静かで乱されることのない動じない心

 どうでしょうか。現在の世界、社会の状況から失われた精神です。また茶道には、不完全の美学というものがあります。なぜ完全でなく不完全なのでしょうか。私たちは勝利とか完成、完全に強いこだわりをもちます。プーチンも自らのロシアの完成形を妄想しています。しかし、勝利をしたり、完成をするとそこで私たちの進歩は止まります。勝てば傲慢になり、負ければ自分を見失い暴挙に出ることもしばしばです。その勝利も、時が移れば価値が薄れます。また完成したと思っても、状況が変われば、たちまち未完成の域に戻ってしまいます。ものごとは常に変転しているからです。

 こうして茶道精神がたどり着いたのが、不完全の美でした。不完全のままであることを称賛するのではなく、完全に向かう飽くなき精神こそ尊いと考えました。つまり結果ではなくプロセスにこそ人生の意義があると考えます。不完全は弛みない進化であると理解したのです。

 私たち企業人は結果ばかり追い求めますが、謙虚にして完全を目指すプロセスこそ大事だということです。私たちや企業を育てる精神は、時の一点の出来事に過ぎない結果ではなく、永遠に続くプロセスにあるという考えは、説得力のあるものといえます。

 混乱の極みに達しようとしている世界は、いま、日本文化の普遍性に耳を傾けるべきではないかと思うのです。

代表取締役 松久 久也