自身の弱点を認識し、ロマンとビジョンで
上場企業にした名経営者 似鳥昭雄
2020年の東京オリンピック、2027年リニア開通等、大きなイベントが続くにも関わらず、政府が公表する景気状況は芳しくなく、人生100年時代を迎えると、現状の年金制度では、1人2,000万円が不足するというデータが公表されました。
この状況下で、家具という衰退業種で30年以上増収増益を達成している、「お値段以上ニトリ」の創業者 似鳥昭雄を今回の題材とします。
似鳥昭雄は、1944(昭和19)年樺太に生まれ、幼少期は、母のヤミ米屋の仕事を手伝いながら過ごしてきました。勉強する時間がとれないこともあって成績は悪く、中学、高校はカンニングでしのぎ、1963(昭和38)年札幌短期大学に入学し、1964(昭和39)年短期大学を卒業後、編入試験で、カンニングが成功し、北海学園大学に入学しました。大学入学後も成績は芳しくなく、代返と卒論代筆で1966(昭和41)年卒業し、父親が経営する似鳥コンクリート工業に就職しましたが、病気により、逃げ出し、広告会社の共栄興業の契約社員となりました。しかし契約がとれずクビとなり、家業に出戻りましたが、家業の業績が悪化し廃業することになってしまいました。
似鳥は1967(昭和42)年、周囲になかった家具店、似鳥家具卸売センター北支店を創業しました。当初は、売れたのですが、4カ月を過ぎると売上が伸びませんでした。理由は、似鳥自身、接客ベタで商談ができないことにありました。
そこで、窮状を見かねた母が結婚をすすめ、1968(昭和43)年、生涯の伴侶となる百百代と結婚しました。百百代は、接客がうまかったので、似鳥は配達、仕入に専念し、似鳥家具卸センターは、徐々に業績を上げていきました。
2号店を立ち上げた後、1972(昭和47)年、資本金300万円で株式会社を設立しています。しかし2号店から500m程離れた場所に大型家具店が出店し、一気に業績悪化で赤字となり、資金繰りが悪化、借入金返済が滞るようになっていきました。
似鳥は、起死回生策で、アメリカを視察し、アメリカの家具が日本の実質価格の3分の1であることに着目し、日本の家具の価格を3分の1にしようと考えました。似鳥は、アメリカ視察で、日本でアメリカのような豊かな生活を実現したいというロマンが芽生え、30年で何ができるかを考え、最初の10年は店づくり、次の10年は人づくり、その次の10年は商品づくりというビジョンをもちました。
似鳥は、家具屋の慣例の掛売をやめ、同時に値段をスーパーのように同一価格に変更し、古い経営を見直しましたが、営業部長が仕入価格を水増しして、自分の懐に入れていたので、店頭価格が上昇し、客足が低下し、売上高が下降線をたどり、倒産の危機を迎えました。他の社員も連座しており、結局、不正社員を解雇し、社員20名が5名となりましたが、利益率が改善され、会社が持ち直しました。
1979(昭和54)年、前年の景気低迷により、大手企業が新卒採用を抑制したのを見据え、人材確保のチャンスとし、男子30名、女子6名を採用しています。それまでの社員数60名と合わせるとこの時に3分1以上を採用しています。
その後、この1979(昭和)年採用社員とともに、似鳥は、生命線の安さを追求する為、海外からの直接仕入、自前の自動立体倉庫の設置、家具以外の商品を柱とするホームファニシングを確立して、「ニトリ」をブランディングし、東証一部上場の大企業と押し上げています。
似鳥は、自分の長所を活かして、「とにかく人と違ったことをやる」とし、好奇心をよい方向に伸ばすようにしています。また、自分に苦手なことは無理にやろうとしないで、得意な人を探してやってもらうようにしています。
まさしく、勉強嫌いだった似鳥自身が、経営者として成功した考え方、法則です。
ニトリの人材育成は、社員ひとりひとりに性格検査を実施し、それを基にカウンセラーがカウンセリングをして、モチベーションを上げる為のアドバイスをする方法を実施しています。
弊社 プレジデントワンは、人材育成、採用をサポートする『人財育成サプリ』、『採用サプリ』のアプリケーション、研修等を通じて、人事面をサポートする事業を行っています。ご関心のある方は、ご相談下さい。
加藤 博司