ユダヤ商法を取り入れ日本マクドナルドを創業し
成功に導いた名経営者 藤田 田

 新型コロナウィルス感染が増加する中、東京オリンピックが華やかに開催されました。開催前には、東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式のショーディレクターに就任していた小林賢太郎氏が、パフォーマー時代にナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺を揶揄するセリフを使用したとしてショーディレクターを解任され、ユダヤ民族の影響力が話題になりました。今回は、ユダヤ民族の活力のもとであるユダヤ商法を日本に取り入れ、成功に導いた日本マクドナルドの創業者藤田 田を題材とします。

 藤田 田は、1926(大正15)年、大阪府大阪市に生まれ、旧制北野中学、旧制松江高等学校を経て、1944(昭和19)年、東京大学法学部に入学しています。在学の授業料と生活費の稼ぐため米軍の通訳をして、下士官以下の地位の人と付き合うことで、ユダヤ商法を学び、1950(昭和25)年、大学在学中に、輸入雑貨販売店 藤田商店を設立しています。
 藤田商店を続けながら、1971(昭和46)年、日本マクドナルドを創業し、日本にハンバーガーを食する文化を広めていき、1989(平成元)年には、日本トイザらスを創業しています。2002(平成14)年に、日本マクドナルドの社長を辞任し、2003(平成15)年、日本マクドナルドを後進に譲った翌年の、2004(平成16)年、78歳で逝去しています。

 藤田 田は、大学在学中に通訳として働く中、GHQの兵隊でも地位の低いユダヤ人が、地位の高いユダヤ人以外のアメリカ人にお金を貸して、贅沢な暮らしをしていることに目をつけ、その原点となる“ユダヤ商法”を学び、身につけています。

 “ユダヤ商法”の神髄は、『契約』にあり、ユダヤ人は、一旦、契約したことはどんなことがあっても守る。それだけに契約の相手先にも契約の履行は厳しく迫り、契約には甘えも曖昧さも許さない。
 “ユダヤ商法”の格言の一つに『時を盗むな』という言葉があります。一分一秒と雖も他人の時間を盗んではいけないことを戒めています。

 ユダヤ人は、普段から生活の中に数字を持ち込んで数字を生活の一部としています。例えば、日本人の場合、“今日は暑いですね。” “少し寒くなったようですね。”と表現することが多いと思いますが、ユダヤ人は、華氏(日本では摂氏)〇度というように、暑さも寒さも数字に換算するようです。
 また、ユダヤ人の特徴として、前日商談でケンカをしても、翌日には、何事もなかったように商談を始めることが多いようです。彼らの論理として、「人間の細胞は刻々と変化し、日々新しくなっている。だからケンカした時のあなたの細胞は、今朝の新しい細胞と入れ替わっている。満腹の時と空腹の時でも考えが違うものだ。私はあなたの細胞が替わるのを待っているだけだ」と言います。
 また、ユダヤ人は、物事は何でも同じだが、上から見たり、下から見たり、角度を変えて見たりして、多方面から商品を吟味するようです。

 ユダヤ系民族の成功者には、スターバックスの中興の祖ハワード・シュルツ、デルの創業者マイケル・デル、Googleの創業者ラリー・ペイジ、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグ、マクドナルドの創業者レイ・クロック等、枚挙にいとまがありません。 藤田 田は、『銀座のユダヤ人』と言われ、自身の子孫だけに限らず、マクドナルドの社員にも、“ユダヤ商法”を伝え、実践させていきました。
 因みに、ソフトバンクの孫 正義社長が高校生時代に、藤田 田を訪問し、コンピューター関連を学ぶように指導を受けています。

 ユダヤ系民族は迫害されてきたルーツがあり、日本に育った我々とは環境が違いますが、ビジネスにおいて、①契約を順守する。②時間を大切にする。③数値に換算する。④物事を多面的に見る。➄多様性を尊重する。というのは、非常に肝要であり、今、盛んに言われている生産性の向上に繋がるのではないでしょうか。

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加藤 博司