“お口の恋人ロッテ”という確固たるブランドを確立させ、日韓で多角経営に成功した名経営者 重光武雄
竹島領土問題・慰安婦問題・日本政府要人の靖国参拝問題など、日本と隣国韓国には、様々な問題があります。
古来、日本は韓国等の朝鮮から文化を学ぶことがあり、本来は仲良く発展することが望ましいと思われます。
今回は、韓国から日本に渡り、“お口の恋人”という確固たるブランドを確立させ、プロ野球 千葉ロッテマリーンズのオーナーでもあった重光武雄を題材とします。
重光武雄は、1921(大正10)年に韓国で生まれ、韓国の高等学校で勉学に励んだ後、1941(昭和16)年、関釜連絡船に乗って日本本土へ転居しました。1944(昭和19)年、早稲田高等工学校に入学し、1946(昭和21)年に卒業して、ひかり特殊化学研究所の看板を掲げ、石鹸・化粧品の製造販売の会社を起業しています。
重光は、アメリカの進駐軍が持ち込んだチューイングガムが人気を博しているのを見て、1947(昭和22)年、ガム製造に乗り出し、1948(昭和23)年、株式会社ロッテを設立しています。 因みに、ロッテの社名は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』の主人公のシャルロッテから名前をとっています。
重光は、ロッテで、「グリーンガム」、「クールミントガム」などのガムでブランドを確立し、ガム業界で寡占状態をつくっていきます。1964(昭和39)年 チョコレート事業・1970(昭和45)年 キャンディー事業を立ち上げ、1972(昭和47)年にハンバーガーショップのロッテリアを設立しています。1971(昭和46)年には、プロ野球球団 ロッテオリオンズ(現 千葉ロッテマリーンズ)を買収し、球団オーナーとなっています。
重光は、日本での事業で成功をおさめながら、韓国では、1973(昭和48)年にホテル事業に進出し、1979(昭和54)年、ロッテホテルソウルを開業します。1982(昭和57)年、韓国プロ野球球団 ロッテジャイアンツを設立。1988(昭和63)年、テーマパークロッテワールドを開業するなど、日韓で多角経営を行って成功をおさめた後、2020(令和2)年、98歳で永眠しています。
重光は、発想の転換で、チョコレートは溶けやすいので秋から春先、アイスクリームは暑いので夏が売れるという圧倒的な常識を覆し、チョコレート菓子では、「パイの実」や「コアラのマーチ」といったチョコレートとビスケットを融合させ、チョコレートが溶けても大丈夫な商品を開発し、アイスクリームでは「雪見だいふく」といった冬だからこそ食べたくなるようなネーミングで売り出します。「雪見だいふく」は給食にも採用され、広がりを実現しています。
重光は、1958(昭和33)年、日曜日のお昼にNHKのど自慢の裏番組として「ロッテ歌のアルバム」を放送し、“お口の恋人 ロッテ”というロッテのコーポレートアイデンティティのフレーズをつくり、日本中に染み渡らせることに成功しています。
重光は、「マーケッティングの鬼才」という異名をとって、派手な経営を行うと思われていますが、経営理念はとてもシンプルで堅実です。そんな重光武雄の経営理念は、以下の3つです。
- ① 理解できていない事業にはいきなり手をつけないこと。
- ② 可能性がある事業を始める場合には、徹底的に調査をしながら準備すること。
- ③ 事業に失敗しても株主も経営者も誰も被害を受けない範囲で、投資資金を借り入れること。
経済産業省が事業再構築補助金の募集を行い、沢山の企業がチャレンジしようとしています。重光武雄の経営理念を思い起こしながら、チャレンジするのも良いのではないでしょうか。
弊社プレジデントワンは、『事業再構築補助金』サポートを行っています。興味のある方は、ご連絡ください。
加藤 博司