「目標喪失時代」に生きる

 ある中学生に、将来何になりたいですかと聞いたら「幸せ」であればいいと返ってきました。私は著書で、今の大学生の夢は幸せな家庭をもつことと判を押したように回答することに驚いたものです。それがどうやら子供たち全体に広がってきたようです。

 漢字の探求一筋に生涯を送った、東洋学者・白川静さんという方は、ものごとを成し遂げるための3つの心構えを語っています。「書物を読むのにはね、まず「志あるを要す。」志がなくてはあかん。なにをやっていいかわからんということではね。あかんので、私は東洋という問題を頭において、それの古代的なね、あの成り立ちの姿を捉えたいという気持ちであったから私にとってはそれが志であった。それから第二番はね「恒あるを要す。」途中でやめたりね、いい加減にやっとってはいかん。しょっちゅうそれをやらねばいかん。恒あるを要す。しかし、志があっても、しょっちゅうやっとってもものにならん場合がある。それは「識あるを要す。」見識やな。識あるを要す。これはどういう価値があるか。どういう価値があるか。その価値判断ができなくちゃいかん」。
 志・恒・見識。どれも人間が生きていく上で大切なものばかりです。これらの3つが揃って人間の尊厳があらわれます。学生に限らず、企業の若い世代に接することが多いのですが、これらの人間の尊厳はどこかへ消し飛んでしまったと思わざるを得ません。

 どうしてこのようになったのでしょうか。小中高生のなりたい職業ナンバーワンは会社員だそうです。会社員にもいろいろあります。会社員の業種は千差万別で、会社員といっても生涯を送る仕事の性質は実に様々です。会社員というのは単なる身分の呼称に過ぎません。あなたはどんな仕事をしているのですかと問われ、「計算をしています」と答えるのに似ています。ものごとの形式だけに関心があり、中身に関心を持たないのです。手段にしか関心がありません。
 生きる手段にしか関心を示さなければ、ものごとの意味を深く掘り下げることができません。表層的にしかものを見ることができないため、力がつきません。

「私たちはこの世界において皆で協力して生きています。だから、どれだけ他人の役に立てるかを、人生の目標にもってこなくてはなりません。他人を傷つけたり、邪魔をするなどはもってのほかです」。(ダライ・ラマ14世)

 自分の幸せだけに関心を持てば、他人の役に立つという視点は抜け落ちてしまいます。自分の利益しか興味が湧かないため、他人の言動で自分の興味に反すると感じれば他人を誹謗中傷することにもなります。自分だけの幸せを追求すれば実は幸せになれないというパラドックスがあります。たとえ富を得ることで幸せをつかみたいとしても、誰かの役に立ってはじめて手にすることができます。自分一人で、富を得ることはできないのです。
 自分以外の人、出来事をみて目標を持つことがとても大切です。一見、現代社会は目標喪失時代と映りますが、正しくありません。目標を求めていないだけのことなのです。いま、世の中を見渡してみれば、『困ったこと』にあふれています。豊かな日本にありながら貧困問題が存在しています。地球環境は危機的状況です。人々の精神はおかしくなり働く人の15%がうつ病予備軍といわれます。また、コロナ禍・射能汚染水・頻発する地震・経済停滞・財政疲弊・教育崩壊・人口減少など数え上げれば枚挙にいとまがありません。これらは皆自分以外の出来事です。
 自分の中からは目標が生まれません。

 「人が幸せを感じるかどうかは、目標を達成できたかどうかで決まる。どうして、目標がこれほど大きな意味を持つか。答えは明確だ。なぜなら、目標を持っている人は、持っていない人より、目標達成のために努力しようとするからだ」。(ロルフ・ドベリ)

 人生はまず目標を持つことからはじめなければ、はじまらないのです。企業内が活性化するためには、目標を持つ。大きな目標が見つからない時は、小さな目標でもよいのです。その小さな目標に向かっていく中で、さまざまなことを学び、力がつき、他人の役に立ち、自分の幸せにつながっていくことがわかるのです。

 若い世代の深刻なやる気のなさ(139カ国中、日本132位。2017年ギャラップ調査)から救い上げるために、まず企業経営者の皆さんがやるべきことは、社員が具体的な目標を持てるようにすることと、目標を達成する経験の中でしか、人は幸せをつかむことができないということを伝えることではないでしょうか。目標が喪失することはあり得ないのです。


代表取締役 松久 久也