大企業になってもベンチャー企業精神を
持ち続けている名経営者 宮内義彦
コロナ禍により、1年遅れで開催された東京オリンピックの影響で、11月下旬の寒さの中、開催された日本シリーズ。試合内容はこの10年で1番と激賞され、熱い戦いをしたヤクルトスワローズVSオリックス・バファローズ。前年は各リーグの最下位同士ということで注目の戦いとなりました。敗れはしましたが健闘し、パシフィック・リーグで25年ぶりに優勝したオリックス・バファローズのオーナー 宮内義彦を今回の題材とします。
宮内義彦は、1935(昭和10)年、兵庫県神戸市に生まれました。神戸と疎開先の山口県の小学校、関西学院中等部・高等部を経て、1954(昭和29)年、関西学院大学商学部に入学します。1958(昭和33)年、同大学同学部を卒業した後、総合商社日綿実業(現在の双日)に入社しています。
宮内は、1963(昭和38)年、当時、日綿実業がアメリカでニュービジネスとして急成長しつつあったリース業を学ぶため、アメリカに派遣されます。帰国後、オリエント・リース(後のオリックス)設立準備事務所を経て、1964(昭和39)年、オリエント・リースに入社しています。オリエント・リースは、創設メンバーが13名で立ち上げた会社で、宮内は、当初、出向の身分でしたが、1967(昭和42)年 転籍し、1970(昭和45)年 取締役になり、 1980(昭和55)年、45歳で代表取締役社長に就任します。役職名は変化しましたが、2014(平成26)年 79歳までトップに君臨し、現在は、シニア・チェアマンとして後進指導をしています。プロ野球 オリックス・バファローズ(当初は、オリックスブルーウェーブ)の球団オーナー職は、1988(昭和63)年に参入してから、86歳の現在まで続けています。
経営者としての必要な考え方・能力を宮内義彦は次のように述べています。
- 各事業部門がいくらの資本を使っているかの想定資本金を算出し、利益水準との関係、効率よく経営ができているかを判断する。
- 新規事業、新規参入をする時は、成否の分かれ目を見極め、いつストップをかけるかが重要。
→どう考えてもうまくいかないと見たら、会社が大きな傷を負う前にストップする。 - 日本の産業構造が工業社会から知的集約型社会へ変化していると考え、雇用形態は“テーラーメイド”つまり一人ひとりのキャリア形成に即して、仕様を考えなければならないと考えて、専門性があれば、オリックスでは、70歳以上の方、中には80歳以上の方も在籍させている。
- 経営者のビジョンや戦略などを社員、金融機関、取引先へ納得させる言葉
→コミュニケーション力が必須。 - 経営は「アートの世界」と認識し、合理的に頭で考えて基準をつくるのではなく、その場その場で、自分の直感に従いながら、人間力で取り組んでいく。
- 毎年、「去年に比べて、今年の方がよくなっているかどうか」を検証する。
→売上高、利益という数字だけの比較ではなくて、会社の技術力、改善効果、ネットワークの広がり、社員の勤務態度、社内風土等の様々な視点から鑑みる。
宮内は、若くしてアメリカのMBA資格を取得し、知的集約型社会の中心にいる経営者ですが、日本では、社員や取引先への人情味を持ち、血が通っていることを感じる情緒ある経営を行い、経営者は社員の琴線に触れる言葉を発しているか、心が熱くなる行動をとっているかが肝要であるとしています。社員が共感し、面白みを感じて働かなければ、中小企業の成功の確率が高まらないと述べています。
また、宮内は、 「自分の能力に比べて、より重要な仕事を与えられている」と思えるような課題をどれだけ社員に出せるかが、会社の発展力に左右するとしています。
宮内義彦は、MBAの合理的な考えを持ちながら、今でも13名から立ち上げたオリックスの創業期のベンチャー精神を持って経営に携わっています。
オリックス・バファローズが、パシフィック・リーグの優勝を果たしたとき、宮内義彦は、86歳でした。高齢にも関わらず、5回も胴上げをされ、25年ぶりに、最高の夜だったようです。
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加藤 博司