優柔不断と言われた日産に新風を吹き込み
再生させた名経営者 カルロス・ゴーン
7月後半に連日、日経新聞に日産自動車の営業利益の激減、12,500人に及ぶ従業員削減が掲載されました。昨年(2018年)11月から半年程で前経営者 カルロス・ゴーンを有価証券報告書への役員報酬過少記載、背任行為で逮捕に追いやった日産自動車の現経営陣でしたが、電気自動車開発等、自動車業界の変革に対応している兆しがありません。20年前にも経営危機がありましたが、その時、フランス・ルノーからやってきて日産自動車を再生させたカルロス・ゴーンを今回の題材とします。
ゴーンは、1954年にブラジルのボルトベージョで生まれ、レバノンに移住し、17歳で大学を受験する為、フランスに1人で渡来しました。そこで官僚や政治家を輩出するエコール・ポリテクニークに進学して2年学び、エコール・デ・ミンヌに進みました。
1978年、欧州最大のタイヤメーカーのミシュラン(フランス)に入社し、3年目にフランス国内のル・ピュイ工場の工場長になりました。1985年には、ブラジルを拠点とする南米事業の最高執行責任者(COO)に任命され、1990年には、ミシュランの北米事業部の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、18年間、ミシュランで重責を担いました。
1996年、ルノーにヘッドハンティングされ、南米ルノーのスーパーバイジング担当の上席副社長として入社し、ベルギーのビルボールド工場閉鎖等の不採算事業の閉鎖、部品の調達先の集約などの経費の圧縮に努め、ルノーを数年で黒字化に転換させ、「コストカッター」、「コストキラー」と呼ばれるようになっています。
1999年3月、ルノーが日産の株式36.8%取得して資本提携が締結され、同年6月にゴーンは、日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任し、2001年6月に日産自動車の最高経営責任者(CEO)に就任しています。
2003年6月には、1999年のゴーン就任時に約2兆円あった有利子負債を全額返済(銀行からの借入金を社債を発行して返済)し、自動車の国内シェアを12%から20%まで回復させています。
2005年5月には、ルノーの最高経営責任者(CEO)にも就任し、ゴーンは、日産自動車・ルノーの最高責任者(CEO)となり、フォーチュン・グローバル500にリストされる2社を同時に率いる初めてのリーダーとなっています。
ゴーンは、2017年4月、会長に就任するまで、約16年間、日産自動車の最高経営責任者(CEO)でした。
ゴーンが就任する前の日産自動車は、縦割り組織で融通のきかない役所、「銀座の通産省」と評され、問題意識があっても行動が徹底しない、決められない経営者を生み出している会社と見られていました。
ゴーンは、1999年、まず、日産自動車の工場、営業所等の現場を見て回り、開発部門と製造部門が協力していなくて、工場毎の考え方がバラバラなのを見てとり、各部門から人を集めて協力させる仕組みで部門横断の組織を立ち上げました。次に、課題を数値化した上で必達目標を掲げさせ、結果に応じた信賞必罰を徹底しました。また、ゴーンは、カッコ良かった日産のクルマ作りの情熱を蘇らせています。
ゴーンの功績は、社員に責任の所在を明確にし、具体的な目標を与え、その達成度を定期的にチェックすることで、社員にやる気や自信を持たせたことです。ゴーンの異名の「コストカッター」、「コストキラー」も取引先、社員の理解なくては行えません。
ゴーンは、現状、背任行為で判決を受ける身ですが、日産を一度、蘇らせ、社員に自信を持たせた功績は消えません。
日産自動車のような行く先の見えない会社は、多数見受けられます。経営者だけでは、改革、再生は難しいのですが、社員と語り合い、ミーティングをしながら、社員の特性を活かし、今一度、PLAN-DO-SEE-CHECKを行い、社員に自信、プライドを持たせることが現状打破に繋がるのではないでしょうか。
加藤 博司