ビジネスノウハウを活かし、弱小チームを
常勝チームに変えていった名指導者 原 晋 監督
新春1月2、3日の両日、恒例の箱根駅伝が行われ、下馬評ではあまり評価が高くなかった青山学院大学が優勝しました。
今回は、青山学院大学を優勝に導いた原晋監督を題材とします。
原晋は、1967(昭和42年)に広島県三原市に生まれ、幼少期からスポーツが好きで、野球ではエースで4番、相撲では主将を務めていました。小学生の高学年の時、不慮の事故で、足を複雑骨折して長期入院した時、リハビリを兼ねてジョギングを始め、中学では陸上部に入部して長距離走を始めています。県総体の1500m走で2位となり、高校駅伝で有名な世羅高校に入学し、主将として活躍して、世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し、3年の時、日本インカレ5000mで3位入賞しています。1989(平成1年)、中国電力陸上競技部1期生で入部しましたが、陸上にかける情熱が薄く、故障をしてしまった為、わずか5年で競技生活を終えてしまいます。退部当初は、選手失格ということで、打ちひしがれていましたが、ビジネスマンになってからは、当時の電力会社としては珍しい提案営業を行うことによって、営業実績を上げていきました。原晋は、2003(平成15年)青山学院大学が駅伝強化ということで、駅伝部の監督募集を行っていることを知り、ビジネスマンとしての知識を活かし、チーム育成10年計画プランをプレゼンし、監督の地位を得ました。チーム育成計画プランでは、箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争いでありましたが、3年目で予選会16位(10位までが出場権)で落選、4~5年目でも出場できず、6年目の2009(平成21年)箱根駅伝本戦へ33年ぶりに出場し、7年目の2010(平成22年)8位でシ-ド権獲得、12年目の2015(平成27年)箱根駅伝の総合初優勝、ここから4連覇。昨年2019(平成31年)、東海大学に優勝を譲り、今回は、優勝候補の本命でありませんでしたが、王座を奪回しています。
原晋は、陸上界での常識を疑い、外部と交わることによって、新しい発見やアイディアを生み、業界内の常識をダイナミックに転換させていきました。原晋の場合は、ビジネスマン時代に学んだノウハウを取り入れています。
原晋は、陸上界に持ち込んだビジネスノウハウの一つが「目標設定と管理」です。会社全体の目標があって、部署の目標があって、個々の目標がある。ビジネスの世界ではあたり前のノウハウですが、陸上界では、目標は監督の頭の中だけにあることが多く、原晋のやり方は斬新でした。目標管理ミーティングでは、ランダムに5、6人のグループをつくり、各々が設定した目標達成のための練習計画について話し合い、より達成可能な計画に仕上げるようにしていきました。
原晋は、強い組織をつくるには、コーチングの前に「ティーチング」を行うこととしています。目標を実現させる前には何が必要で、自分たちは何をすべきなのか、具体的に教える段階が必要であるとし、監督就任後3年程は、グランドで指導しながら、目標管理シートをどう作成するのか、目標管理ミーティングをどう行うのか手取り足取り指導していきました。
就任3年程は、当時の青山学院大学陸上競技部が弱小だったのでティーチングをしていましたが、考えない人間になる可能性があるので、組織の進化には、ティーチングだけではいけないと感じていました。
原晋は、組織の進化には、4つのステージがあるとしています。ステージ1が、先程のティーチングで、部員に知識、技術を細かく教えていく段階。ステージ2が、スタッフを養成し、少しずつ権限を与えていく段階。ステージ3は、さらに選手の自主性を重んじる段階。ステージ4は、最終的に部員の自主性とチームの自立を求めていく段階。
原晋は、就任当時から、組織の看板となる哲学を掲げています。
- 感動を人にもらうのではなく、感動を与えることができる人間になろう。
- 今日のことは今日やろう。明日は明日でやるべきことがある。
- 人間の能力に大きな差はない。あるとすれば、それは熱意の差だ
原晋は、テレビ等のマスコミに露出することが多いので、チャラいなどと思われる方もいるようですが、実際には、陸上界の発展という大きな命題を背負って発言、行動されているようです。
各経営者の方々も、原晋が、陸上界にビジネスノウハウを持ち込んだように、ご自分の業界の常識を疑い、他業界のノウハウを持ち込むことを考えてみてはいかがでしょうか。
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加藤 博司