令 和 元号を超えた、革命的な時代へ
大化の時代から受け継がれてきた元号。1400年近くにわたり、盛衰を経ながら元号をつなぎ、日本というアイデンティティを育てあげてきました。一つの文化を、これほど長く守りとおしてきた日本は、すばらしい国です。いよいよ、令和時代がはじまります。
易経に読み解くビジネスは、今回はお休みさせていただき、令和の時代を展望してみたいと思います。諸説ありますが、今月で終わる平成について、皆さんはどのようなご感想を抱いておられるでしょうか。私個人としては、失敗から立ち直れず、日本人の精神が弱体化していった時代と受け止めています。未だにバブルを清算できず、悲惨な原発の処理も遅々とし、常軌を逸したサリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災など不幸な出来事に塗られた時代でした。苦しい状況の中で、利己的に走る人であふれ、あからさまに人を騙し、誹謗中傷のエネルギーが蓄えられ、感情が決壊していった時代でした。
さて、こんな平成に一区切りをつけ、新しい令和の時代を迎えられることは、よいことかもしれません。平和で人々が穏やかに暮らすよい時代になることを望むばかりです。令和の時代が2、30年続くと仮定したら、どんな時代が見えるでしょうか。
大化の時代から連続してきた時代が、この令和で非連続となるのではないでしょうか。最近、感じることは、自分の脳で考える人が少なくなってきたことです。とくに若い人は、膨大な情報を前に、日々、思考力が弱くなっています。情報を眺めているだけです。分からないことがあれば、瞬時にネット上にある“うわさの類の答え”を眺めます。自分の頭で考え抜き、自分なりの“答え”を導き出すことをしません。最も安易な“答えを見てしまう”のです。私たちの世代はインベーダーゲームの登場で、コンピュータゲームに熱狂しました。しかし、面白いに違いないが、自分の大切な時間をゲームに奪われていて、どんな意味があるのか、と気づき、自分の人生をつくることに向き合いました。しかし、どうでしょう。子供たち、若者はいつまでたってもゲーム離れができません。職につかず、終日、ゲームと麻薬に溺れている若者が、アメリカ社会で問題になっています。趣味娯楽の世界であったゲームが、人生を支配している。ゲームには作り手があり、より刺激的なゲームをつくることで、お金を稼ぐ。こんな作り手の動機に嵌る自分に疑問をもたない人間が増えているのです。
スマホ、ネット、ゲームが人間の人生を支配し、人間がそれらの道具の“家畜”になっています。脳が働かなくなってきたのです。ユヴァル・ノア・ハラリがサピエンス全史で、農業革命によって、人間はコメの家畜になったといいます。幸福になるための手段を追求した結果、手段が人間を“家畜”にするという構図です。その家畜化の手段が、令和の時代には、途方もないものとして出現します。AI、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー。私は本紙面で、何度も、これからの時代はAI、バイオテクノロジー、ナノテクノロジーで動くと言ってきました。そのスピードと影響はスマホ、ネット、ゲームの比ではありません。「これまで何千年かかったものが、これからはほんの2~30年で起こるかもしれない」(ユヴァル・ノア・ハラリ)という壮大な時代に突入します。ハラリは、そうした時代には、ほんの少数の超エリート階級と、経済的、政治的に何の役割も担えない無用者階級に分かれると言います。自分の頭で考えることを止めた人びとが無用者階級の予備軍になるのです。それが令和です。人間とは何か、自分とは何か、生きるということはどういうことなのかを真剣に考える時代が令和なのです。トーマス・フリードマンは、下りのエスカレーターを昇る時代と言います。「ビデオゲームに興じる5分を使う人は、自分の教養を高める5分を失い、時代から取り残される」。フリードマンは、モチベーションのあり方で、格差が生まれるといいます。これをモチベーション・デバイドといいます。
令和の時代に取り残されないためには、正しいモチベーションを持つことです。それは、AI、バイオテクノロジー、ナノテクロジー、この3つです。この3つに関心を寄せる人と無関心な人で、格差が生まれるのです。まだ、間に合います。
代表取締役 松久久也