令和の自然体
やっと令和時代がやって来た。5月からの国事行為が、祝賀御列の儀で全て終わった。即位パレードを見て感慨に浸る人が多かったようである。オリンピックのように国が一つになってお祝いする機会は減っているので、印象深いものだった。とりわけ、新皇后の一挙手に注目された方が多かったのではないだろうか。沿道の人々から、「天皇陛下 おめでとうございます」「皇后さまー」「雅子さまー」と声がかかると、「自然体で笑顔を返し、時に、雅子さまは白い手袋で、そっと目がしらをおさえられた」。感極まり涙をみせられたのは、一度ではなかった。この新皇后の自然体と涙を見て、日本の多くの人が涙を流したのではないだろうか。なぜなら新皇后の自然体は、幾多の誤解、誹謗中傷を乗り越えて獲得されたものであるからだ。このように推察しながら、涙を流した方は多いだろう。
本当によくここまで辿りつかれたことと思う。新皇后になるまでの世間の風当たりはあまりに醜く、善良な人をも錯覚させるようなひどいものだったのではないか。視聴率や売り上げを上げるために、“商品化”されてきた“悪意”“誹謗中傷“の数は限りない。こうした苦難を乗り越えるには本当に大きなエネルギーを要する。
「世の中は、自分の心の中で正しいと信じることをしても悪口を言われ、しなくても悪口を言われる。どちらにしても批判を逃れることはできない。ましてや、人の上に立つ限り、非難をまぬがれることは不可能である。」(デールカーネギー)
新皇后は、まさにそうした体験を長く強いられた方ではないか。
『じわじわと浸潤してくる他人の誹謗中傷と、皮膚に直接感じる無実の訴え、これを受け付けないのが聡明である。じわじわと浸潤してくる他人の誹謗中傷と、皮膚に直接感じる無実の訴え、これを受け付けなければ遠大な未来を見る聡明さがあるということになる。』
孔子は『根拠のない誹謗中傷や無実の人を陥れようとする訴えに耳を貸さない態度』をして聡明と考えていた。また、易経では「天の下に雷行き、物事に无妄を与う。先王をもって茂んに時に対し万物を育う。もし人が自然体であったら、自然はすべてを教え、与える。どんな状況下でも時の主でいることができる」といい、自然体であることの重要性に触れている。(易経:天雷无妄)
ネット社会では、善良な人でありながらネットの影の力に誘惑され、影の自分を投影させ、誹謗中傷に明け暮れる人が多い。深夜に誹謗中傷に明け暮れ、結局、疲れ切ってしまっている人が多い。この度の即位パレードで、涙を流す新皇后、涙で応える国民。こうした光景が日本社会にまだ残っていることを見て、安堵したものである。日本社会にはまだ善良な人びとが大多数なのである。
新皇后の涙と自然体は、私たちが令和の時代にどう生きていけばよいかを、教えてくれたはずである。令和の時代を切り開いていくのは、一般市民、一人ひとりである。令和は、真実を見抜く自然体の力が見直される時代になってほしいと願うのである。本当に笑顔の大きな力を教えてくれた素敵な両陛下の誕生である。
代表取締役 松久 久也