モンテーニュ:エセーにみるパンデミック
私は、モンテーニュのエセーを20歳から読み続けてきました。エセーでは生と死に関わる記述が頻繁に出てきます。モンテーニュが生きた時代は激動の時代であり、宗教戦争が29歳の時にはじまり、亡くなるまで続きました。戦争が常態化し、そうした背景から、生と死について考えざるを得なかったのだろうと思っていました。ところが、モンテーニュは宗教戦争だけでなく、パンデミックについても同時に体験していたことが視野にはいってきました。何気なく読み進んでいた記述に引き寄せられました。
一生の間に戦争とパンデミックの2つを経験する景色というものは、平和と安定した時代に生きてきたわれわれには容易に理解できるものではありません。今回の新型コロナによって、エセーで語られているパンデミックをありありと想像することができました。
モンテーニュがパンデミックに襲われたのは、1586年、日本では安土桃山時代です。そのときの様子は今、私たちが直面している状況とまったく同じであることがわかりました。今後、長い闘いになるコロナ時代の生き方のヒントになればと、エセーについてご紹介しておきたいと思います。
モンテーニュが体験したパンデミックは、ペストでした。「古来複数回の世界的大流行が記録されており、14世紀に起きた大流行では、当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されている」。(Wikipedia)モンテーニュが暮らしたフランスでは1628年に流行し、1631年まで4年間にわたって猛威を振るいました。ちょうどモンテーニュ53歳の時です。フランスでは人口1000万人のうち100万人が命を落としたと言われています。モンテーニュが体験した当時の様子です。
「いまだかつて伝染病が一度も足を踏み入れることのなかった、わが村のきわめて健康によい空気も、ついに毒に侵され、異常な様相を呈することとなったのだ。わたしは、自分の屋敷を見るのが恐ろしくてたまらないという、奇妙な状況を耐えしのばなければいけなかった。…家族のために避難場所を探すのに、ひどく難儀をした。友人たちにこわがられるばかりか、自分でもぞっとするような思いをしながら、さまよう家族は、身を落ち着けようとする先々で嫌がられた。そして、家族の一人の指先が痛み始めたというだけで、すぐに住まいを変えなければいけなかった。どんな病気でも、ペストだと受け取られてしまって、なんの病気か見きわめるだけの時間など与えられなかった。医学のルールに従って、危険な兆候が見られたら、どんな場合でも、感染におびえながら四十日間は隔離するというのは、なるほど良い方法だ。しかしながらその間に、想像力というやつが、そいつの流儀で働きかけて、健康な人間までも熱病に冒してしまいかねない…この種の病気においては、精神的な不安がとりわけ危惧すべきもの。…ペストによる死は、…儀式も、服喪も、会葬者の群れもない死なのである」。(出所:エセー7 白水社)
まさに現在のわれわれの置かれた状況と重なります。産業が発達した現在では、自らの健康ばかりでなく、「企業の健康」状態をも懸念しなければならないので、精神的な不安はさらに深刻なものになっています。こうした鬱屈した日々の中で、モンテーニュは現実をどのように受け止め、どのように暮らしていたのでしょうか。
「ペストが猛威をふるったときに、われわれは、これら単純素朴な人びとのうちに、決然とした態度の見本を見た。人々はみな、生きることにこだわらなくなった。この地方の主要生産物であるブドウは、木に垂れ下がったままである。しかしながら、だれもがみな、今晩か、はたまた明日かと、死に備えて待ち受けていて、その顔や声には、おびえたところなどほとんどない。あたかも、これは万人に対する避けがたい有罪判決でもあるがごとく、この必然性に身を任せているかに思われた。むろん、死とはいつでも、そうしたものではあるが、それにしても、死に対する覚悟というものは、いかに些細なことから生まれることか。」「どうやっても避けられないのだから、もう逃げも隠れもしないぞというとっさの決心によって、われわれを勇気づけてくれることがある」。(出所:エセー7 白水社)
なすすべのない惨禍を前に、覚悟を決めて生きる道を選んだ中世の人々の心情が迫ってきます。どれほど科学が進化したとしても、大宇宙の自然の摂理に抗うことはできません。日本では戦後の長い平和で安定した時代が長く続いてきましたが、1991年バブル崩壊、1995年の阪神淡路大震災以降、1995年サリン事件、2008年リーマンショック、2011年東日本大震災と5年~10年のスパンで大変動が起こるようになってきました。毎年の巨大台風、記録的豪雨、今後起こるであろう巨大地震などを考えますと、常に生命の危険と背中合わせで生きていかなければならない時代となったようです。
コロナ禍については、早く新薬とワクチンが登場することを祈るばかりです。どのようなことが起こっても、不動の心で生き抜いていく。モンテーニュの時代の人々が、持ち合わせた“覚悟”を、目の前に置かなければいけない時代になったようです。
代表取締役 松久 久也