バイデンの「勝利宣言」に見るアメリカ

 ファイザーの新型コロナワクチンの効果は90%との報があり早速株式市場が反応しました。一条の光明が差してきたようです。
 さて、一波乱はあるかもしれませんが、どうやらバイデン氏が次期アメリカ大統領になったようです。トランプ大統領の出現によって、世界は本当に変わってしまいました。英歴史家のニーアル・ファーガソンは、今年1月The Times 紙で感情が理性に勝る民主主義「エモクラシー(感情主義)」のまん延を憂えました。アメリカ人から理性を奪い感情を取り出したトランプ氏の言動はアメリカ人ばかりでなく、世界の人々の心の暗い部分に火をつけました。
 私は長年にわたって、感情制御に関する企業教育に携わってきました。仕事や人生の75%は感情で破綻すると言われています。
 「どれほど多くの運命が感情によって亡き者にされてきたかわかりません。心のなかに疑いがあると、ほんのわずかな重さで、あっちにも、こっちにも傾いてしまう。怒りも静まり、冷静になってみると、ものごとは、実際、別の姿に見えてくるものだ。怒っているときは、命令するのも激情であり、口をきくのも激情なのであって、われわれではない」。(モンテーニュ)
 トランプ時代のアメリカ人は、アメリカ人ではなくなっていました。自由と民主主義でお人好しなアメリカ人の姿は見当たりません。トランプ大統領は就任以来、感情的な生き方が「正直な生き方」であると世界に伝授しました。感情の赴くままに生きるのが「正直で正しい生き方」であると主張したのです。ところが、トランプ氏の言う「正直な生き方」はどことなく後ろめたいものがあり、人々は人前でその「正直な生き方」を明らかにするのをためらう傾向があります。その「正直な生き方」は人間としての徳を失いかねないことを知っているからです。メディアから誰を支持しますかと聞かれると、多くの人がつい感情を隠し、理性的に「バイデン支持」を装ってしまったのです。それによって、思わぬ隠れトランプ票が積み上がり、バイデン有利という当初の選挙予想と異なり大接戦となったのではないかと私は考えています。
 バイデン氏は、この「異常なアメリカ」に終止符を打とうと、『勝利宣言』をしました。「分断させようとするのではなく、結束させる大統領になることを誓う。赤い州や青い州ではなく、ただ米国だけを見ることを誓う。・・・心から、あらゆる人の信頼に応えるために働く。米国はそうあるべきだ。私たちは国民のための政権だ。米国の魂を立て直す。・・・トランプ米大統領に投票した人々は今夜、落胆しているだろう。私自身も(大統領選への立候補で)2度撤退している。今度はお互いに機会を与えよう。暴言をやめて冷静になり、もう一度向き合い、双方の主張に耳を傾けるべきだ。前に進むために、互いを敵とみなすのはやめなければいけない。私たちは敵ではない。私たちは米国人だ。・・・聖書は全てのことに季節が巡っていると教えてくれる。立て直し、稲穂を刈り取り、種をまき、傷を癒やす時だ。米国の傷を癒やす時が来た。
 久しぶりに聞く理性的な政治家の言葉でした。選挙戦のときはバイデン氏の姿はとても弱々しく、トランプ氏に太刀打ちできないという影の薄い印象がありました。しかし、勝利宣言では一転、力強く、人の心を打つものがありました。
 日本の政治家では、下線部のような表現はできないと思います。これだけ深い分断があれば、敵を労う言葉は出てこないでしょう。日本では遺恨が長く残るに違いありません。激しい行動はないとしても、陰湿な闘いが続くことでしょう。バイデン氏の『勝利宣言』には、このような暗さがありません。
 バイデン氏の『勝利宣言』を見ると、あれほど分断されたアメリカという国の回復力を支える自由と民主主義の力をあらためて感じるのです。ひとたび遺恨試合を行えば、根が深い対立が残る日本の民主主義とはずいぶん違うという印象です。アメリカ人は、心の開き方を知っているのではないかと思います。中国は、アメリカは衰退したと断言していますが、自由と民主主義のDNAがいまだに健全であり、急速にアメリカを回復していく可能性を残していると思うのです。自由の国アメリカであるため、激しい対立が素直に表現されたのかもしれません。
 分断アメリカにほくそ笑んでいた中国にとっては、厄介な相手が出てきたと思っているに違いありません。日本の国益を考えるとき、バイデン氏がよいのか、トランプ氏がよいのか、どちらがよいか難しいという見方が多いようです。オバマ民主党政権時代にジャパン・パッシングをされた苦い経験によりバイデン民主党に懸念を持っている識者が多いからです。しかし、まだ中国関与政策の続いていた当時と今日では、対中政策も様変わりしています。アメリカはいまや超党派で関与政策の誤りを認め、対中強硬策に転じていますし、香港問題、台湾問題、尖閣問題だけでなく、南沙諸島、西沙諸島、カシミールなど領土問題をめぐる威嚇的な行動は、世界の知る所です。あのロシアでさえ、シベリアや北国圏での貪欲な中国の拡張主義に対し、我慢の限界まで来ているようです。さらにチベット族やウイグル族などに対する弾圧に対して、民主党は共和党よりはるかに厳しい態度に出るでしょう。いまや過激な自国ファーストを謳っているのは独裁国家中国だけになりました。国際協調への回帰を鮮明にしているバイデン政権を考えますと、米国は、日本、オーストラリア、インド4カ国を軸に、イギリス、フランスとも足並みを揃えていくことでしょう。
 地球の未来は相当危ないところまで進んでいたことを考えますと自由と民主主義、地球環境、国際協調、理性の回復を図ろうとするバイデン大統領は時代の要請といえるのかもしれません。
 また、安倍元総理とトランプ氏の築いた極めて稀な盟友関係は、世界の誰も真似ることはできません。菅総理とバイデン氏はともに人生の辛酸をなめ、お互いに共感しあえるところが多いでしょう。ともに新しいスタートを切ることで、創造的な仕事ができるのではないでしょうか。
 暗黒の時代へと刻一刻と進んでいた世界は、とりあえず一呼吸を置いたようです。世界の平和を祈るばかりです。


代表取締役 松久 久也