水に流す

 私たちの国は、他国と異なり嫌なことがあっても過ぎ去れば「水に流してお互いのわだかまりをなくす」という文化があります。嫌なことをいつまでも引きずっていいことはありません。日本文化の際立った長所ともいえます。

 世界ですでに415万人以上が新型コロナで亡くなりました。また感染者は1億8473万人(2021年7月7日現在)に及んでいます。戦死者415万人、負傷者1億8473万人と置き換えることができます。つまり、これは戦争状態です。しかもすでに1年半にわたる戦いとなって、国民は疲弊してきました。

 第四回目の緊急事態宣言が出され、東京は再び1000人を超す勢いになりそうです。デルタ株の猛威はこれまでと違うようです。飲食、旅行、宿泊、イベント業界が1年半の政策により、いよいよ息絶えようとしています。こうした状況の中、「オリンピックは特別であり、これだけIOC、JOCの関係者は一生懸命やってきたのだから、オリンピックを盛り上げようではないか」という元JOC参与の声を聞きました。とてもびっくりしました。一生懸命やっているのは、さも自分たちだけであるかのようです。これまでも本当に一生懸命やってきたけれども、生活が破綻した夥しい善良な人がいるということが目に入らないのです。固定概念に支配され目の前の状況を正しく理解できない人が多いのがIOC、JOCではないでしょうか。

 残念ながら神聖なスポーツの名を騙った特別に不浄なオリンピックになってしまいました。これほど世間の声を聞かずに強固突破したオリンピックは、たとえ開催したとしても、素直に応援できないという人が多いのではないでしょうか。すべてのアスリートが公平な条件でかつ万全な体調で競技当日を迎えることのできない中で、金メダルを目指す意義を見出すのは困難と言わざるを得ません。これまでひたすら打ち込んできたアスリートの皆さんがとても気の毒です。これはひとえに政治の責任だろうと思います。オリンピックという国民一丸となって盛り上がる機会に、国民をばらばらにしてしまった政治の責任は重いと言わざるをえません。

 日本人の失敗を記録した名著「失敗の本質」(中公文庫)があります。新型コロナとオリンピックに挟まれた現在の状況は、世紀の愚かな大作戦インパール作戦を連想させます。「48,900人のうち36,245人、74%の死者を出した歴史的敗北を喫した」(出所:インパール作戦従軍記 火野葦平)作戦を指揮したのは牟田口廉也中将と河辺正三大将の2人です。日中戦争、太平洋戦争のきっかけとなった盧溝橋事件を引き起こしたいわくつきの2人です。インパール作戦の前途はきわめて困難であると視察をした秦彦三郎参謀次長は、作戦中止を助言しました。戦況が悪化して物資・兵員の輸送が困難で、誰もが作戦継続不能を認めていました。インパール作戦に限らず太平洋戦争の死者の7割(約200万人)が餓死したといわれています。牟田口は客観的な情勢分析に耳を貸しませんでした。精神主義に凝り固まった牟田口は、部下の異論を抑え込み、上級司令部の意見には従うことがありませんでした。人情、人間関係重視、組織内融和を優先し、組織の硬直化を招きました。戦略戦術をあらためることなく、学習の貧困、欠如を物語ったといわれています。必勝の信念だけが独り歩きし、杜撰な計画を抑圧しました。功名心に駆られた2人はもはや目の前の現実を見ようとはしませんでした。専門家諮問委員会と菅総理の関係を見るようです。牟田口や河辺のように客観情勢を冷静に受け入れることなく、人情と個人の信念だけで押し切って犠牲者を積み上げていった例は、枚挙に暇がありません。

 今回の「新型コロナという戦争」と「オリンピックというイベント」開催可否の迷走は、まさに日本人の不得意とする危機管理をあらわしたものです。私たちは現下の情勢から何を学んで、何を教訓とするのでしょうか。ワクチンの普及でこの厄災は収まっていくでしょう。しかし、ここで学ぶことをせずに次の時代を迎えれば、政治も文化も社会も進化することはなく、いつまでたっても弱点を抱えたいびつな日本人をやっていくことになるのではないでしょうか。理性をもって分析すれば後世に伝えるよい教科書になります。

  • なぜワクチン後進国になってしまったのか
  • なぜオリンピックの中止を真剣に議論できなかったのか
  • なぜメディアは正しいと思った論調を、続けなかったのか
  • なぜワクチン予約に関する国の統一フォームを作成できなかったのか
  • なぜワクチンは十分供給があるといいながら、供給不足になってしまったのか
  • なぜ飲食店における顧客の行動規範を細かく考えようとしなかったのか
  • なぜ政治家、官僚は科学的知見を謙虚に受け入れなかったのか
  • なぜイベルメクチンを正しく評価しなかったのか
  • なぜ首相は側近のアドバイスを受け入れようとしなかったのか
  • なぜ首相は、万全の体制、安心安全という抽象的な言葉を繰り返したのか
  • なぜ政治信条を乗り越えて、戦時下で首相と都知事は理性をもって話をしなかったのか
  • なぜ規制が効かなくなるのがわかっていながら、より効果的なアイデアを議論できなかったのか

 日本人は何度も何度も同じ過ちを犯します。そこには明確な理由があります。私たちは大問題が起こったときに水に流してなかったことにしてしまうからです。分析を行い、原因を探り当て、二度とこのようなことが起きないように反省し、以後の行動に移らなければなりません。私たちの国の政治はそれをしないのです。新型コロナが終息してもきっと同じような失敗を繰り返すに違いありません。次の大失敗は、台湾問題で起こるのではないでしょうか。


代表取締役 松久 久也