出会いを通じて自分と出会う

「見捨てられていると思った」
  先日お会いした経営者さんは、社員さんと昼食をともにした際に、ふとこう言われたそうです。その社長はもちろんそのような自覚はなく、出来る限り気分を害さないように先回りして、気持ちよくお仕事にのぞんでもらえるように、気を遣っていたそうです。しかし、それがかえって期待をしていないようにとらえられてしまっていました。

 一方、その社員さんにとっては、自分の会社の社長に向かってこのようなことを言うのはとても勇気がいることです。客観的に考えてみると、ここには応えるべき大きなヒントがあるようにみえます。「見捨てられていると思った」ということは、逆に「見捨ててはいない」というメッセージをつたえることで、その勇気にこたえる必要があります。些細なことでもそれにこたえることで、社員さんの会社に対する想いはきっと向上していくことでしょう。個別に対話の機会を設けたり、ひとりひとりに対して日頃のお礼のお手紙を書いたり、懇親会があるならばその際に些細なお土産と自筆のメッセージカードを添えるなど、方法はいろいろと考えられます。

 世の中には、信頼関係を構築していく心理学やコーチングにもとづくコミュニケーションの技術があります。事実、この社員さんとの信頼関係を新たにつくりあげていく上でも、きっと有効なのでしょう。しかし、技術よりも何か大切なことがあると、私は考えます。きっとその何かとは、松下幸之助さんがいう「素直な心」で向かうことではないでしょうか。経営者という職責で日々お仕事に向かい社員さんと接することも大切ですが、今回のような肝心なときには、そういった殻を脱ぎ捨てて一人の人間として相手に真摯に向き合うことが大切なのではないでしょうか。

 少し話が脇にそれますが、伊勢神宮の近くに社会教育家の中山靖雄さんという方が住んでいました。中山先生は毎回、ご講演の際に参加者のお名前と出身地を全て暗記し、それを当日の朝、伊勢神宮の神前にて報告したのちに講演にのぞんでおられました。翌朝は再度、全員分のお名前を報告してご多幸を願っていました。中山先生は晩年、脳梗塞を患い盲目の身となりました。しかし、やはり同じように参加者全員の名前と地名を覚えていました。事前に奥さんにカセットテープに吹き込んでもらい、それを暗記していたそうです。そんな中山先生はご講演の中で毎回、「出会いを通して自分と出会う」と仰っていました。

 「見捨てられていると思った」と勇気をもって進言した社員さんと「出会う」ことによって、実はその社長は何かに気づき、些細な一?かもしれませんが解決に向かって実践を重ねることで、新たな「自分と出会った」のです。「この世界は二つで一つ。話し手と聞き手と二つで一つ。だからこの二つの波長が合えば、どんな話もいいほうに進んでいけるものなのです」。中山先生はこうも仰っていました。出会った方々、ご縁をいただいた方々の幸せを願いつつ、日々生きていきたいものです。

 さて、今週10月15日からジャカルタでのビジネス・マッチングを開催します。現地の企業家や政府関係者との面談も予定しています。地域や場所、立場はちがっても、私自身も一人の人間として向き合って参りたいと思います。

加藤 滋樹