幸せの価値 ~カンボジア企業家との交流で感じたこと~

 4月2日より一週間にわたり、カンボジアの企業家23名が来日されました。訪問先や体験プログラムは、自動車工場や新聞社の見学、日本人企業家とのビジネス・ミーティング、日本文化体験、そして京都・奈良の観光です。事前に得ていた情報では、歩く速度が日本人よりもかなり遅いということでした。中部国際空港・セントレアでお出迎えをしたときから、ゆっくりとした速度で物事が進んで行きます。しかし、それに対する「嫌な感じ」というものは、少しも覚えることがありませんでした。後になって、それが何故かを分かることがありましたが、そのことについては後段にて触れたいと思います。

 セントレアの到着ゲートを出たのちには、全員での記念撮影が行われました。その後も、文字通り写真撮影の嵐が続きます。私たち日本人と大きく違うことは、全ての写真に自分自身も含めた人が入っているということ。得てして私たちは、風景だったり、モノだったり、その単体を被写体として写真に収めてしまいがちですが、カンボジアの皆さまは必ずそこに、「人」が入っています。通訳をつとめてくださったカンボジアから名古屋大学大学院に来ている留学生は「私たちは自撮りが大好きです」と仰っていました。その後の訪問先やその道中においても、写真撮影は続きます。私たちが歩いて5分で到着する距離を、その2倍?3倍の時間がかかって進むことも多々ありました。くだんの通訳さん曰く、カンボジア国内においても、このような行動様式をとっておられるとのことでした。(ただし、日本人企業家との面談など、「相手のあるプログラム」に遅れることは一切ございませんでした)

 四日程たった頃、気がついたことがありました。それは、同じ距離を歩くのにも日本人は「目的地に向かって一直線」ですが、カンボジアの皆さんは「目的地に至る道中も楽しんでいる」ということです。確かに私たちはカンボジアよりも進んだ技術を持ち、経済的には豊かで、沢山の移動をこなし、アポイントをこなしているかもしれません。しかし、お金や経験が多いからといって、それ自体が幸せなことではないのかもしれません。彼らは道中を楽しみ、お互いが伴侶を大切にし、友人を大切にし、心からその時間を大切に過ごしているようにみえました。

 松下幸之助翁は、幸せの三つの条件として、「自分が幸せであること」「世間の人々もその幸せに賛意を示してくれること」「社会に貢献し、周りの人たちに幸せをもたらすこと」を挙げています(『人生談義』より引用)。また、幸福について研究しているアメリカの心理学者・チクセントミハイ氏は、「永続的な喜びと満足を感じている人たちとは、活動の結果として得られる報酬が目的ではなく、活動自体に価値を感じて取り組もことができる人たちである」と述べています。

 果たして私たちは目先の何かにとらわれすぎていて、大切なものを失ってはいないでしょうか。そんな幸せの価値について思い返すきっかけをいただいた一週間でした。



 加藤 滋樹