中部経済新聞に掲載されました
着眼大局 着手小局 経営に求められる人間力 第17回

【着眼大局 着手小局】経営に求められる人間力
第17回
続けるものだけが意味を持つ
余計な意味を付けず習慣に

 「続けることだけが意味を持つ」。
 改めて考えてみると、これはとても前向きな思考です。本日はそのようなことについて、私自身が感じたエピソードを交えて述べていきます。
 続けること。それは、世の中を変えてしまうような、壮大な夢や目標を持ちつづけることはもちろん大切ですが、例えそうでなくとも構いません。「何かを成し遂げる」といったことでなくても、もっと身近なことでもよいと思います。
 むしろ、あらかじめ自分は「こういう人である」と厳格に定義をして、結論を先にして人生を縛るのは、変化が激しい現代においては得策ではありません。それよりも、今すでに実践していて「恐らく10年後もやっているのだろうな」と思うことを念頭に、人生の旅路の先を想像するというのがよいと思います。
 「私たちは10年後、何をし続けているのでしょうか」。
 私の場合、10年前には今の仕事が想像できませんでした。また、10年後もこのように考えを伝える機会をいただけるかどうかも、わかりません。それでも、「10年後もやっていそうだ」と思えるのは、文章を書いていることや、人と対話をしつつ新しい価値を生みだそうとし続けていることです。つまりは、コミュニケーションというものに対する自然な慈愛というところに行き着きます。
 「知的生活」という、昨年4月に惜しくも亡くなられた文豪、渡部昇一氏のベストセラーのテーマがありました。渡部氏にとってのそれは、本を読み、本を書くための生活をどのようにして守るかという内容でした。「どのように時間を守るか」、「知的生活を守る住居は?」「書斎はどうしたらよいか?」「人間関係は?」「配偶者は?」「食事はどうすべきか?」というさまざまな領域を包み込んでいました。
 無論、私自身は渡部氏に遠くは及びません。しかし思い返せば、他者の目に触れるような個人的なブログや、寄稿といったものは、2005年から書いていました。当初は決して自慢できるようなものではありませんし、今もアイデアを生みだす環境や情報をインプットする方法に満足をしたことはありません。
 自分が感じたニュース、会った人との感触、読んだ本のことを自分の中で咀嚼(そしゃく)し語ること、生みだすこととの苦しさも含めて、これが自分の習慣になっています。  続けるものだけが意味を持つ。実は短期的な利益や評価ではなく、自分自身が余計な意味を付けることなく続けることができることだけが、私たちにとって大きな意味を持つのではないでしょうか。

加藤 滋樹

 

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