一人の人間として生きる

 先日、ある高名な方とお会いする事がありました。しかし、いただいた名刺には、お名前とそのローマ字読みしか書かれていませんでした。このとき、私は大きな衝撃をうけるとともに、反省をしました。私たちは立場が上になればなるほど、また自分の役割を得ていけばいくほど、そのことを名刺に記したりして、意識せずとも自分を対外的に誇りたいと思いがちです。まさに人間の性ともいえるものだと思いますが、その方はそのすべてを脱ぎすてて、一人の人間として生きていることが伺えるのでした。アメリカの心理学者アブラハム・マズローの欲求五段階説では、欲求は下位から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、そして自己実現欲求へと階段が上がっていきます。この自意識の性というべきものは、承認欲求、つまり他者から認められたい、尊敬されたいという内的な欲求とされています。

 自分が認められたいと思うのはなぜでしょうか。私も含めて多くの人たちにあるのは、他人と比較して自分が頑張っているということを世間から認知されたいという動機からかもしれません。人間教育研究者の小田全宏氏は「他人との競争から絶対的におりる」という大きな示唆をしており、「怠けるということでも、人の下敷きになって生きるということでもありません。そうではなく、人生の価値尺度を他人との競争に勝つというまことに無益な意識から解き放ってやる時に、本物の力が生れてくるのだということです」と述べています(『新・陽転思考』より)。やはり、自分自身を一人の人間として大切に考え、煩悩というか邪念というか、そういうものから解き放って自分自身を俯瞰してとらえていきたいものです。

 オーストリアの著名な詩人、ライナー・マリア・リルケは代表作『若き詩人への手紙』の中で、悩みを寄せる一人の青年に対し、「あまり自分自身を観察しすぎてはいけません。あなたの身に起こることから、あまり早急な結論を引き出してはなりません。単純にその起こるがままにさせておきなさい」 と記し、やはり素直な心の大切さ、物事をそのまま受け入れることの大切さを伝えています。

 最後に、冒頭紹介しましたマズローは晩年、五段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があることを発見しました。それは自己超越という段階です。見返りを求めず、我欲を求めず、ただ没頭し、何かの課題や使命、大切なことに貢献している状態だといっています。

 一人の人間として生きる。心機一転、素直な心で、新たな年をお迎えしていきたいものです。

 加藤 滋樹